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価値の種類

人の弱さにつけこむような詐欺まがいのものを除き、
全ての仕事は、代価を得るにふさわしい技能、品物などを供給し、
代価を得ている。

その「価値」に対して、お金を払う、のだと思う。

(代価を得ない場合は、その価値の高低に関わらず、ボランティアになる)


「学校」の特別性とはどういうものだろう、と私は昔から分からなかった。
特別なのは分かる。
でも「なぜ」特別なのかは分からない。
「なぜ」…たとえば学校の先生を尊敬しなければならないか分からない
なぜ、他の仕事と比べて聖職だと思わなければならないか分からない
他の仕事と同じように仕事をし、お金をもらっている
プロである
プロならば、その仕事の質によって価値を評価されるべきであって、
身分(職業)によって評価されるべきではないのに

そういう分からなさだった
(学校が嫌いだったのと、身内に先生が多かったからかもしれない)


もっとも、今は大人で、子供が小学生なので、
気持ちも変わったけど。
「先生、大変だなあ」
「よくやってるよなあ」
「一緒に育ててくれているんだな」
…という感じで、どちらかといえば好感を持っている。


公教育は、一部のニーズ(良いニーズも、利己的とか欲と呼ばれる悪いニーズも)…から離れたところにある。

公に定められた物に従っている。
それを定める目的とは…「公益」…かな。
「公益」って、なんだろう。


公益とは何か
http://npo.sekido-office.jp/article/6553220.html

によると、

>「不特定かつ多数のものの利益」が公益の意味

とある。(とても分かりやすい。)



ああ、なるほど

不特定 かつ 多数のもののため

それを本質に置いている



そう考えれば、義務教育は分かりやすい。
「不特定 かつ 多数のもののため」だから
逆に、一人一人に応じることへの限界があることも。


公 = 不特定 かつ 多数か…

(ベン図が浮かんでしまった(^^;))


もちろん、対象者は限られるけど
小学校1年生の普通学級だったら、
どの地域に住んでいて、
何年何月から何年何月までに生まれた6~7歳だとか、
授業にある程度ついていける(知的障害を持たない)とか
おおまかに限定されているが、
それでも面接や受験がある小学校と比べると
その対象範囲はずっと広いのであった。



話は戻るけれど、
どんな「価値」を持っているか
だと思う
その価値は質であったり、量であったり
多数のニーズであったり、
ニーズに応えられるかであったり
ニーズ以上の付加価値を持っていたりであったり

職業の種類によって分類する、という分類の仕方もあるが、
それは分類上のことで、
同じ業種といっても、提示する「価値」が違うことがあるのだろうなあ、と思った。
(当たり前か…)


同じ「物を売る」という商売であっても、
買う方の満足度は違う。
たとえ同じ物を買っても

A店で「安かったから嬉しかった」ということもあるが
B店で「安くないけど、とても満足」ということもある

一見よく似たものでも、
「自分に合っていないから、価値がない」物も
「自分に合っているから、価値がある」物もある。


ある店が存続できるのは、その店なりの価値を持っているから
それを認める人なり土壌なり、ニーズなりがあり
その地域の中でのバランスが取れているから

価値の種類か…

公教育は、「あって当たり前」だから
価値を感じにくいんだろうな…
分が悪い

受け皿のようなもの
空気や水や
電気や光のように

ない時には渇望し
なくなったら大切さが分かる

そして、当たり前だからこそ、質のよい物をいつも求められている




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