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「賢い幼児だったが、勉強が普通の小学生」になるのは1(幼児と小学生の違い)

虹色教育通信の「かしこいのは幼児の間だけ…というアドバイス」
を過去に読み…

それこそずーっと考えてる
この「ずっと」というのは「四六時中」という意味の「ずっと」ではなく、
過去から現在までの日数の長さを意味する「ずっと」である。

現在完了進行形?だっけ?(調べれば分かるが、今は先を急いでいる)

いろいろな要素から考えている

小学校の勉強の場合は、条件が3つ。

1.「脳が学校(小学校)の勉強に向いているつくりをしているか」
2.「意欲」
3.「時間」


「1」の「脳が学校(小学校)の勉強に向いているつくりをしているか」だが、
「聞くことが主となる一斉授業の中で、「誰が」「どう」教えても対応できる脳のつくり」と言い変えてもいいだろう。
 つまり、かなり下手でも、おもしろくない教え方でも、理解し、記憶し、読み出せる脳。
 
 その場合、3の「時間(学校外の勉強時間)」がゼロに近くても、小学校の間は良い成績であることは可能だと思う

「2」の意欲はエンジンのようなものであり、小学校教育の中では、先生がその役割を大きく担っている。
(親も担ってるし、もちろん意欲というのは本人のものだが、ある学校のある先生のクラスは全体として勉強がよくできたり、逆にある学校のある先生のクラスは分かる子と分からない子の差が激しくなったりというように、全体に影響を与えるという点で、先生の役割が大きいと考えられる)。


中学生以上になると、
「1」の「学校の勉強に向いてる脳のつくり」だけでは対応できなくなるので、
むしろ「3」の時間の要素の方が大事になってくる。
自分に必要な時間の勉強ができるか。そのための「2=意欲」を自分で引き出せるか。


…で、
本題の…

「幼児(小学校以前)」と「小学生」だとどうか。

やはり違いがあると思う。

その違いのひとつは、小学生に比べて幼児の方が、身近な大人が意図して働きかけたことがダイレクトに反映されやすいところだ。
(それは幼児の脳がまだ未熟で単純な所があるからだろうか?)


しかし、小学校に入って、学校の勉強という「狭い範囲」で考えると、
「狭い範囲」の能力を使うという理由もあって、幼児が親などの大人に反応するのとは、また違ってくるように思える。


大人の(学校・親の)働きかけがすぐに反映する人もいるとは思う。
「1」のように「たまたま学校(小学校)の勉強に向いてる脳のつくりだった」というタイプは、反映しやすいだろう。

が、「幼児がさまざまな才能の片鱗を見せること」に比べると、
「小学校の勉強のやり方に非常に向いている(他の大部分の子供と比較して得意である)」子供の絶対数は、少なくなると考えられる。

そう考えれば、
幼児の頃は才能を感じさせても、「小学校の勉強という才能」では普通、
というのはありうると思うし、むしろ自然だ。
そうした時に「賢いのは幼児の間だけだな」と親が思うこともあるだろう。

小学生は生活の多くを小学校で過ごし、勉強も主に小学校でする。
この時、良い先生だったらその子も伸びるが、他の子も伸びるから、
「レベルの高い中の普通」になる。
普通の先生だったらみんなそれぞれの脳の作りに応じて伸びるから、
「普通の中の普通」になる。


続く…

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